14世紀半ばにヨーロッパを震撼させた黒死病(ペスト)は、人類史上最も壊滅的なパンデミックの一つであり、ヨーロッパ全体の人口の3分の1から2分の1が命を落としたと推定されています。
本記事では、ペスト終焉に至るまでの歴史を詳細に考察し、以下の5つの主要な要因を中心に、様々な側面から分析していきます。
厚生労働省によると、今でも毎年2,000人ほどが報告されているようですが、抗生物質のおかげで完治できる病気ではあるみたいです。
黒死病(ペスト)はどうやって終わった?
中世ヨーロッパでは、ペストは何度も大流行し、数百万人の命を奪ったのですが、ペストの最も有名な流行は、1347年から1351年にかけての「黒死病」として知られるものでした。しかし、その後もペストは定期的に発生し、人々の生活に恐怖をもたらしました。
そして、黒死病(ペスト)は結論として、複数の要因が絡み合って終わった(完治できる病気となった)とされており、以下ではその5つの要因を解説します。
感染者数の減少と免疫獲得
ペスト菌と呼ばれる細菌によって引き起こされる黒死病は、感染者との濃厚接触によって広がります。
しかし、当時の人口の大多数が免疫を持っていなかったため、爆発的に感染が広がりました。しかし、多くの人が命を落とした結果、免疫を持つ人が増え、感染者数は減少しました。これは集団免疫と呼ばれる現象であり、感染症の終焉において重要な役割を果たしたのです。
気候変動の影響と季節性
黒死病は基本的に虫の「ノミ」を媒介してなってしまうとされています。
ペストを媒介するノミは寒さに弱いため、冬の寒さが厳しい地域では流行しにくくなるのです。14世紀半ばになるとヨーロッパ全体で気温が低下し、ペストの流行は収束に向かいました。
このように、夏に活発化するノミの活動が抑制されることで、季節性もペスト終焉に影響を与えた可能性があります。
一方で、ネズミが黒死病を引き起こしたのでは?という意見もありますが、歴史家の中には、黒死病の資料の中にネズミがペストを広めたという事実が見つからないことから、ほんとかよ?と思う歴史家もいるそうです。
隔離政策の功罪と都市封鎖
初期段階では隔離政策は効果的ではありませんでしたが、ヴェネツィアなどの都市では、感染者を隔離することで、感染拡大を抑制することに成功しました。
さらに、都市封鎖などの厳しい措置も、感染拡大防止に一定の効果を発揮しました。隔離政策は、感染症対策の基本的な戦略の一つであり、現代でも重要な役割を果たしています。
コロナが流行ったときも、ロックダウンされていましたもんね…。
医療技術の進歩
大流行した当時は特効薬は発見されませんでしたが、当時の医療技術を用いて症状を緩和したり、感染を防ぐ対策が取られました。
薬草やハーブを用いた治療法や、患部の切開・洗浄などの外科的処置も試みられました。これらの試みは、現代医学の発展に繋がる経験となりました。
とくに、19世紀になると黒死病の原因がヤーシンスキー菌であることが特定され、それに対する予防法や治療法が開発されました。また、衛生基準の向上や隔離措置の実施などの防疫対策も効果を発揮しました。
社会構造の変化
黒死病の流行は、中世ヨーロッパの社会構造に大きな影響を与えました。
人口の急激な減少や労働力の不足は、農業や商業の構造を変化させ、封建制度の崩壊や都市の成長を促しました。これにより、都市の衛生状態や医療施設の改善が進み、感染症の拡大が抑制されましたのです。
また、封建制度(国王・領主・家臣の間の主従関係に基づく統治制度)の崩壊や中央集権国家(権力が全て政府に集中していること)の台頭など、社会システム全体の変化も重要な要因として考えられます。
なぜペストは「黒死病」と言われる?
ペストに感染すると、リンパ節が腫れ上がり、皮膚に黒い斑点が現れることがあります。この症状が「黒死病」という名前の由来となりました。
リアルな画像は結構グロテスクなので、以下がイラストの紹介にはなりますが、いきなりこんなになったらびっくりしますわな…。
引用:https://ameblo.jp/cxbkk/entry-12695211134.html
中世ヨーロッパでは、この黒死病(ペスト)が流行して宗教戦争が起こってしまい、人々は何か悪魔的な力が働いていると信じ込んでしまったことから「魔女狩り」と呼ばれて拷問されたり、死刑になってしまった女性も大勢いるんだとか。
かの有名な「ジャンヌ・ダルク」も、この魔女狩りによって命を落としてしまった一人です。
黒死病(ペスト)は直近でいつ流行った?
最後の大流行は、19世紀末から20世紀初頭にかけてのインドや中国でのものでした。
しかし、この流行も徐々に収束し、ペストは世界的な脅威ではなくなっています。
現代では、ペストは感染源が制御され、抗生物質が利用可能な場合には効果的に治療できる病気として認識されています。
黒死病(ペスト)はどうやって終わった?のまとめ
ここまで、黒死病(ペスト)はどうやって終わったのか?や、「黒死病」と言われる由来などをまとめて解説しました。
黒死病が終わった原因には複数あり、「人々に免疫がついていった」「寒い時期が続き、夏に行動範囲を広げるノミの活動が弱まった」などが挙げられます。
そこから医療の発展や、人口不足に対応した政治活動の見直しがあり、現在では抗生物質によって完治できるまでになったのです。
コロナも最近では落ち着いてきましたが、このようなパンデミックが起こらないように願うばかりですね…。