セウォル号沈没事件は、2014年4月16日に韓国で発生した旅客船沈没事故です。304人の犠牲者を出した韓国史上最悪の海難事故であり、その原因は多岐にわたります。
そして、この海難事故に見舞われた生徒の中でも、助かった人もいますが「どうやって助かったのか」が気になる方も多いのではないでしょうか?
そこで今回は、韓国のセウォル号事件で助かった生徒はどうやって脱出したのか?を詳しく解説していきます!
セウォル号事故とは?
セウォル号は、元々日本の「フェリーなみのうえ」という船であり、日本での使用が終わった後に韓国へと転売されました。
そして、正しい点検がされないまま、後に2度・4ヶ月かけて木浦(モクポ)の造船所で改造が行われ、客室やエンジン室を増設しました。その結果、船体の重量が大幅に増加し、復原性(船体が横倒しになった時に元の状態に戻る力)が低下したのです。
復原性が低下すると、船体が傾いた時に立て直すのが難しくなり、沈没してしまったのです。
2. 過剰積載
事故当時、セウォル号には車両150台、貨物657トンが積載されていました。
これは、許容積載量を20%以上超える過剰積載です。過剰積載は、船体の重心が高くなり、復原性をさらに低下させる要因となってしまいました。
3. 不適切な操舵
事故当時、セウォル号は急旋回を行い、その後船体が大きく傾きました。この急旋回は、船体の傾斜をさらに悪化させ、沈没を招いたと考えられています。
しかも、入社4ヶ月・20代新人の操縦士が担当していたのです。さらに、点検整備に関わる人材教育も適切にされていなかったことが後になってわかりました。
セウォル号事件の対応が非難されている理由とは?
以下では、セウォル号事件の対応が非難されている理由を解説します。
1. 船長・船員の不十分な対応
事故発生後、船長・船員の対応が遅かったうえ、沈没中の船の中に乗客を残したまま我先にへと脱出する船長・船員の記録も残されています。
沈没中の船のなかに乗客を残したまま、無線アナウンスで「船の中で待機するように」といった指示を乗客にしていました。(理由は、窓を割ったり外に出ようとすると浮力が落ちるからなんだとか)
当時に撮影された映像がYouTubeにも残っており、ここには大規模災害が起こっていても、それを軽視してしまう「正常性バイアス」が働いていたと言われています。
また、その後に非難されることを恐れて、通報することもしなかったそうです。
2.朴槿恵(パク・クネ)前大統領による事実改ざん
韓国検察の捜査によって、朴前大統領がセウォル号事件について非難や責任が覆い被さることを恐れて、「報告を受けた時刻や回数」を改ざんして報告していた事実も明らかになりました。
ここから、朴槿恵政権への批判が高まり、安全意識の改善が求められました。
セウォル号事件のその後
セウォル号事件で起訴された、海洋警察庁長官たちの無罪が、韓国最高裁で確定しています。
また、当時の船長は殺人罪で無期懲役、他の船員や現場に出動した海洋警察の警備艇艇長が懲役刑となっています。
もちろん、遺族らの記者会見では「納得できない」と遺族らは訴えており、怒りの心情が伺えますね…。
現在では船体は引き揚げられ、安山市のセウォル号惨事10周年記念公園に展示されています。事故の原因究明と遺族への補償を求める運動が続いているので、上手く遺族の納得いく形で集結して欲しいです。
セウォル号事故で生徒はどうすれば助かったのか
学生たちは「部屋で待機せず海に出ていれば」助かる可能性はあったのでは?とも考えられています。
もちろん、浮力がなくなってはいくものの、閉じ込められていない限りは外に出たほうが救助隊に発見されやすいので、救助されて助かる可能性も高くなります。そのため、なかには待機命令を無視して海に飛び込んだ人もいたんだとか。
ただし、船が沈没する際に周りの水を引き込むので、その水流に飲まれてしまう可能性もあるのですが、少なくとも早期に外へ出ていた人に助かっている人が多いです。
また、救命胴衣を着ていたとしても、部屋の中に閉じ込められてしまってはもう助からないと同然なので、船の海難事故では早い段階で「部屋の外に出る」は心がけておいて損はありません。
実際に、映像の中には「逃げたくてもドアが開かない」と言っている男の子がいたようです。傾いた状態の頑丈な船のドアが自分の上にある状態を想像すると…恐ろしいですね。
セウォル号事故で助かった生徒はどうやって脱出した?のまとめ
ここまで、セウォル号事故で助かった生徒はどうやって脱出した?や、事件の全貌および、どうしたら助かる可能性があったかまで解説しました。
このような悲惨な事故は2度と繰り返さないようにしたいところですが、旅行などで「船に乗る」機会がある人は、十分に注意したいところです。
明日は我が身として、無駄にはせず教訓にしたいと思いました。